「竹村さんの写真はコンテンポラリー」 実は私の写真はコンポラ写真です。


久しぶりのモノクロのブログの更新です。

最後に更新したのは昨年の11月くらいですね。

昨年の年末から今住んでるところに引っ越ししはじめて、なんだかんだで現在の新居での生活に至るのですが。


なんか時間の流れを感じますね。

さっきふと感じたことが現在はゴールデンウィークの真っ最中なんですね。

そう思うと昨年の年末から始まった引っ越しに関するあれこれからもうすでに半年近く経ってることに唖然とした次第です。

もうそんなになるんですね。


今年に入ってからモノクロを想定した撮影っていうのもやってなかったし、モノクロレタッチすらしてませんでした。

ほんとご無沙汰のモノクロです。


今日投稿した写真は5月1日から2日にかけて大阪の阪南、そして和歌山への撮影旅行で撮った阪南での写真です。

大阪でも和歌山よりの場所です。

海も近くて時々訪れたくなって今回で3度目ですね。

今回の撮影ではソニーのミラーレスと16ミリの単焦点レンズで撮りました。

ソニーの純正の単焦点レンズですが、あまり評判のよろしくないレンズですが、自分は結構気に入ってます。


今回の撮影ではあることを意識してました。

単焦点の広角レンズで淡々と何気ない風景や光景を撮るってことですね。

いつもの自分の写真って言えばそうなんですが、特に今回の撮影旅行ではそれを心がけた次第です。


今回はなぜそのように意識して撮影しようか思ったのかというと、ゴールデンウィーク入った頃にふと昔の出来事を思い出したんですね。

それは自分が写真学校に通っていた頃の話なんですが、自分は写真学校に通っていた頃は暗室に夜から朝方にかけて入っていたんですね。

そのほうが人もいないし、長時間専有できるので。


暗室に入る時によく一緒になったN君という人物がいたのですが、彼が自分の写真を見て言った感想をふと思い出したんですね。

「竹村さんの写真はコンテンポラリー」って言ったをの今でも覚えてる。

自分の写真についてうまくカテゴリにあてはめて感想を言ったのは彼だけでした。

自分は自分の写真についてコンテンポラリーって思ったことも感じたこともなかったで一「?」って思ったわけですが。



あとあと彼の言葉がずっと頭に残ってたので、そのあとコンテンポラリーの写真について調べたりしてるうちに彼の「竹村さんの写真はコンテンポラリー」という言葉の的確なことを痛感した。

ほんとに自分の知らない写真家やアーティストの名前も知ってたりで、こんなやつこの学校にいたんだなって思ったのを覚えてる。

自分と同期に写真学校に入ってきた人たちとは、話せないようなことを彼とは暗室で一緒になった時に話せた。

自分もN君と出会った時に「やっと話せる人がいた」って心から思ったのを覚えてる。



昔、杉本博司が雑誌のブルータスで特集されたことがあったんですが、自分はその雑誌をコンビニで買ったんですね。

その雑誌の付録に杉本博司の有名な海の水平線を撮った写真の小さなポスターが付属してた。

付録なんだけども、そのモノクロ印刷がとてもきれいで、自分はその話を暗室で一緒になったばかりのN君になにげに話した。


すると彼の目の瞳孔が急に大きく開いて、彼が口にした言葉が「そういう話ができる人がこの学校にいない」って言って話に食いついて来たのを今でも覚えてる。

自分が写真学校に行って一番の収穫っていうのはその暗室の時間だったと思う。

その学校の思い出でいつも思い出すのは暗室の時のことばかりだ。


Nくんは自分と同期ではなくて自分より何年か先に写真学校に入ってたようで、暗室を使いたいがために研究生だったか研修生だったか忘れたがそのような形で学校に残ってた。

ほんと今でも真っ先に思い出すのは暗室での時間ばかりしか思い出せない。

その暗室の時間がなかったら自分はそこの写真学校に行ったことを少しは後悔してたかもしれませんが、あの暗室の時間があったことで今では良き思い出として心に残ってるわけですが。


それで、そのN君の撮る写真が妙に垢抜けてて大阪らしくないしゃしんなんですね。

大阪に住んでおきながら全然大阪に根付いてない写真なんですね。

彼は北海道の出身で大阪の人間ではなかったのですが、それがそのまま写真に出てて面白かった。

彼の撮る写真がどこか若者が見るカルチャー、ファッション雑誌的な垢抜けた写真でしたね。

最初に彼の写真を見た時に「大阪でこんな写真撮るやるおるねんな」って思ったくらいだし。


大阪に住んるけども、心はそこになくて東京とか海外とか地元の北海道とかそこにあったんでしょうかね。

まったくよそ者感に溢れた人物だった。


話は長くなりましたが、「竹村さんの写真はコンテンポラリー」という言葉を思い出して、今回の撮影旅行は「コンテンポラリー」を意識した撮ろうってわけでした。

ソニーの16ミリの広角レンズで撮影したのも「コンテンポラリー」を意識してのこと。

淡々と日常というかありふれた風景や光景を撮ろうと努めた次第です。


結局意識してもしなくても、いつもの自分の写真なんですが。

彼の感想通り自分の写真をカテゴリー分けするといつもの自分の写真は「コンテンポラリー」の写真なんですかね。

「コンポラ写真」ってやつですね。


「コンテンポラリー」って意味は「現代的な,今日の,今風の」という意味らしいけども、コンポラ写真が「日本において、1970年前後に強まった写真の一傾向」らしいので、今の時代に「コンテンポラリー」とか「コンポラ写真」って時代遅れなんですね。

まぁ古いスタイルの写真です。

この分野で一番日本で有名な写真家は牛腸茂雄だと思いますが。


自分も最初牛腸茂雄の写真を見た時になんでこれが写真集になるの?って思ったのを覚えてる。

日の丸構図で淡々と撮られた何気ないポートレート。

プロっぽい写真でなくどちらかというと素人、アマチュアが撮影したようなポートレート写真に「?」ってなりました。

まぁ、あれもわかった上での撮り方だったんでしょうけども。


ちなみにウィキペデイアには

「1966年12月、アメリカのジョージ・イーストマンハウスで、「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape(コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって)」という写真展が開催され、ブルース・デヴィトソン、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、デュアン・マイケルスなどが取り上げられた。また、1967年、ニューヨーク近代美術館で行われた「New Document」展でもフリードランダー、ウィノグランド、ダイアン・アーバスなどが取り上げられた。

一般には、彼らの影響を受けた写真が「コンポラ写真」と呼ばれている。特に山岸章二が編集長を務めた「カメラ毎日」はコンポラ写真の中心的な舞台となった。

一方、「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展のカタログが日本に輸入された1968年以前に、既に「コンポラ写真」的な表現は日本でも生まれていたとの指摘もある。」


と書かれてます。 


 

ゲイリー・ウィノグランドやブルース・デヴィトソンも「コンテンポラリー」に含まれるの?

なんかちょっと「?」ってなりますが、日本における「コンポラ写真」と海外における「コンテンポラリー」とは若干の距離があるような気がします。


「野球」と「ベースボール」くらいの解釈の違いはあるのかもね。


今日、投稿した写真はもともとカラーで投稿しようと思ってたのですが、モノクロにしたほうが「コンポラ写真」的になるかなって思いモノクロ写真にした次第です。


ソニーのミラーレスと16ミリの単焦点はモノクロでの相性が良いですね。

階調もなめらかで豊かですし、マイクロフォーサーズではこのようにはなかなかできません。

もう少し写りが硬くなってしまいます。









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